株式会社パームホルツはOPT(オイルパームの樹幹・マレーシアなどで多く植樹されたアブラヤシ)の利活用を支援しています

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「人と地球環境に優しい」を胸に

私たちは思う。大気汚染・海洋プラスチック問題・温暖化・森林伐採...これらの問題はすべて我々人間が起こしたことだと。
地球上に暮らす生き物の中で、地球を破壊しているのは我々人間だけではないかと。
国策でオイルパームをたくさん植えてパーム油を作り、生活を成り立たせている人々がいる。
その一方でパーム油が取れなくなったオイルパームを伐採しなくてはならない。
伐採されたオイルパームは使い道がなく、ただ単に捨てられたり、未利用資源として土に埋められている。そして土壌汚染にもつながっている。
これが地球上で今まさに起こっている。
我々にはこのように未利用資源を価値のある資源に変える技術がある。
利活用することで破壊から共存に変わることができる可能性ある。
私たちの技術で人と地球に優しい未来を、子供たちの後世のために...
それが私たちの願いです。
その結果が、国連が提唱する「持続的可能な発展目標(Sustainable Development Goals、SDGs)」に貢献します。

代表経歴・ご挨拶

代表取締役 日比野 良太郎

  • 1941年生まれ犬山市出身、滝高校卒業。

    呉服屋の4代目として生まれ、持ち前のチャレンジ精神や好奇心で数多くの事業を展開している。

  • 高校卒業後、呉服屋稼業の道へ。

    幼少の頃、戦争で父を亡くした日比野は、自分が母を支えなければならないという想いで勉学に励んだ。その結果、進学校で有名な滝高校へ進学し学内でもトップの成績を誇り東大合格間違いなしと言われていた。高校3年の時、東京大学工学部に進学を希望したが、母の許しを得られず進学を諦め、呉服屋で働くこととなる。現状の呉服屋ビジネスだけでは先行きが見えていると思った日比野青年は、韓国で韓国製の着物の買い付けを行い、日本で販売するという新しいビジネスを展開し、呉服事業を拡大させた。

  • 1976年 洋装・宝飾品小売 エドヤ開業。

    韓国での買い付けをきっかけに免税店に目をつけ、海外でブランド品の買い付けを行い日本で販売する事業を展開。

  • 2000年株式会社ももたろうインターネット設立。

    局番ごとにサテライトを作る事業を展開。インターネットプロバイダ事業の先駆者となり、定額制や0円携帯の制度を世に広めた。この事業はのちに孫正義氏に売却し、ソフトバンクとなる。

  • 2000年 デイザービスセンター株式会社千樹を設立、2004年 有料老人ホームリッチライフOASIS犬山を開業。

    この頃から犬山市に根ざした事業展開を始める。

  • 2003年 犬山まちづくり株式会社を設立。

    美しい城下町の特性を活かしながら、中心街のシャッター商店街の活性化事業を展開。

  • 2015年 株式会社パームホルツを設立。

    当社取締役福山の技術によって未利用資源だったオイルパームが地球に優しい資源に生まれ変わることに感銘を受け、事業化のため設立。

  • 2018年4月 ASAHI文化学院を開校。

    日本語を教えるASAHI文化学院を開校するなど教育事業も展開するなど幅広く事業を展開し成功させてきた。

  • 2019年 春の叙勲「旭日小綬章」授与

    犬山商工会議所の会頭を3期継続し、犬山市の発展に貢献したことで経済産業省からの推薦により受賞した。

美しい星地球を未来の子供達のために

私は好奇心の塊である。決断3秒。長く考えても結果は同じなのだから、ぱっと決断してチャレンジしたらいい。やってダメならやめてしまえばいいわけだから。 そういうチャレンジ精神でここまできました。
呉服屋の4代目として生まれた私は、3歳の頃、戦争で父親を亡くしました。なんとかして母を支えないといけないという想いから韓国製の着物を買い付け、日本で販売する商売をはじめました。この事業がうまくいき、同じようにブランド品の買い付け・販売を行いました。誰もやっていないことでしたので、この事業も見事に成功しました。
1991年12月、日本ではヘドロ汚染の問題が話題になってました。私はこれをどうにかできないかと考え、ヘドロを硬化しレンガとして生まれ変わらせ、それを使って焼却炉を作る事業を思いつきました。こちらもうまくいきましたが、その後ダイオキシン問題により焼却炉廃止となり撤退しました。

さて次は何をやろうかなと考えた時、ふと普段から疑問に思っていることを思い出しました。それは、「なぜ電話はかける場所によって料金が違うのか」。今となっては一律なのが当たり前ですが、当時は距離によって電話料金が違いました。私はおかしいと思い、今度はプロバイダー事業を展開。NTTにもその疑問点を持ちかけ、結果、今当たり前である料金一律を確立したのです。このプロバイダー事業は、のち孫正義氏に売却させ、ソフトバンクとなっております。当たり前といえば、みなさん携帯電話を契約する時に24回払いで実質0円で携帯電話を手に入れてますよね?その仕組みを考えたのも私なんです。
このように、私は好奇心とチャレンジ精神で数々の事業を行ってきました。ここでは成功した事業のお話しをしていますが、もちろん失敗もたくさんあります。たくさんのことを経験し、たくさんの人と触れ合い、そろそろ恩返しをしなくてはいけない。そう思いはじめた頃、犬山まちづくり株式会社を設立しました。
この会社の事業で、シャッター商店街を蘇らせ、今では多くの観光客が訪れる場所になりました。犬山商工会議所の会頭を3期行ったこともあり、令和元年に春の叙勲「旭日小綬章」を授与いたしました。

さて、そんな私がなぜ株式会社パームホルツを設立したか。それは福山氏の才能と地球の未来を信じたから。
ある日、福山氏がオイルパームが未利用資源となり困っている現状と、それを有効活用する技術を開発したことを聞きました。その話を聞いたときに、私はこう思いました。
地球上の生き物の中で地球を汚しているのは、地球を破壊しているのは、我々人間だけではないか。森林破壊も海洋プラスチック問題もすべて我々人間がやったことではないか。地球に住みながら地球を壊している...これでは地球がかわいそうだ。なんとかして地球を元の美しい星地球に戻さなくてはならない!そのために今動かなくてはならない!
すぐさま福山氏に一緒に事業化しようと提案しました。福山氏はそれはとても難しいことだと言いました。その言葉が私の好奇心をより一層かきたてました。
「福山くん、難しいからやる価値があるんじゃないか」
私の好奇心に終わりはありません。

代表取締役 日比野 良太郎

役員紹介

取締役 福山 昌男

  • 1939年生まれ、愛知大学卒業。

  • 1963年 井上護謨工業株式会社(現イノアックコーポレーション)に就職。

    労働組合の副委員長や営業開発、新規事業開発など様々な分野を経験する。

  • 1977年5月19日 井上護謨工業株式会社の暖簾分けとなる株式会社愛和ゴムを設立。

    井上護謨工業株式会社の精力的なバックアップもあり、独立・起業。14年間培ってきたノウハウを活かせるゴム事業の立ち上げを行なった。

  • 1988年6月 樹脂加工業に変更、同時に社名も株式会社アイワに変更。

    親会社である樹脂加工会社が部門を閉鎖することをきっかけに合成樹脂の低発泡異型押出成形品及びふっ素樹脂の成形・樹脂の切削加工品の製造・販売事業に変更。特徴ある会社へと成長させた。

  • 1995年3月 マイウッド株式会社設立。

    独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構や6地方自治体から出資を受け、資本金12億1900万、日本で唯一の木材の研究開発会社を設立した。

  • 2001年1月 マイウッド・ツー株式会社設立。

    6年間研究してきた圧密技術を活かし、木材の加工・販売業を行う会社を設立。スギの圧密材製造加工・販売を行う。

  • 2015年7月 株式会社パームホルツ設立。

    スギの木の圧密技術を応用したオイルパームの製造加工・販売と事業化の普及支援を行う会社を(株)みやこやの支援で設立

パームホルツは私の人生の集大成である

株式会社アイワ

愛知大学卒業後、井上護謨工業株式会社(現イノアックコーポレーション)に就職しました。私はありがたいことに、とても素晴らしい経営者の創業者や創業者一族に直接指導を頂く機会に恵まれて、その上で、可愛がられていたため、労働組合の副委員長や営業開発、新規事業開発などあらゆる仕事に携わることができました。
就職して12年経った頃、独立を決意すると、出身会社はとても精力的にバックアップをしてくれ、20%の出資のみならず、人材・設備までも提供してくださいました。そのおかげで、それから2年後、株式会社愛和ゴムを設立することができました。 私は14年間培ったノウハウを活かし事業展開を行う予定でしたが、親会社である樹脂加工会社が部門を閉鎖することをきっかけにゴム事業から樹脂加工・販売事業に変更、社名も株式会社アイワに変更しました。当時1台から始まった樹脂加工事業は、12ライン24時間操業するほどに成長しました。

株式会社アイワ

そんなある日、社員旅行に行った先で台風により倒れてしまったスギの大木を目にしました。その時は風倒木があるな、というくらいだったのですが、数日後、新聞で風倒木は使い道がなく処分するしかないという記事を目にしました。私はいてもたってもいられず、すぐに取材先である大分県や熊本県を訪ね、風倒木の現状を知ると同時に活用方法を探していることを知りました。
そこで刈谷にあるあいち産業科学技術総合センター、岐阜大学、京都大学木材研究所を訪れ、圧密技術の権威ある教授の指導を頂き、活用方法を模索すると、「圧密化技術」というものに出会いました。「その技術があれば、風倒木を利活用することができる!」その瞬間、スギの木の圧密化を事業化しなくてはと思いました。
ちょうどその頃、日本では、スギの有効活用が課題となっていたこともあり、スギの圧密化技術の研究所を独立行政法人農業・生物系特定産業技術機構や6地方自治体から出資を受け、資本金12億1,900万の日本で唯一の木材研究開発会社を設立することができました。

株式会社アイワ

私はそこで6年間、スギの乾燥技術や圧密化の研究に12~15名の優秀な研究員と没頭し、その結果、2001年1月にスギの圧密材製造加工・販売会社マイウッド・ツー(株)を設立することができました。役所や小中学校などの床などに、500件ほどを施工しました。
スギの圧密事業が順調に伸びてゆく中、名古屋大学の教授から、オイルパームの活用方法について相談を受けました。オイルパームは実の部分を食用油として利用していますが、樹木の部分は強度が弱く、活用方法に困っていました。それを聞き私はすぐさまオイルパームの圧密化の技術研究を開始しました。その結果、オイルパームは圧密化する際、成分が化学反応を起こして、それが接着剤の代替となる「自己接着」が起こることがわかりました。これはとても価値があるものだと思い、勉強会で知り合った犬山商工会会議所会頭の日比野氏に話すと、すぐに事業化しようとという話になりました。そこで日比野氏と共に株式会社パームホルツを設立しました。
井上護謨株式会社に就職して以来、60年間、ほぼ同じ新製品を開発する事業に邁進してまいりました。このオイルパーム事業は、私にとってこれまでのビジネスの集大成になると思っております。
人と地球環境に優しいオイルパームを日本の街づくりに、世界のまちづくりに貢献できたらと思っております。

取締役 福山 昌男

会社概要

会社名 株式会社パームホルツ
代表者 代表取締役 日比野 良太郎
役員 取締役 福山 昌男
所在地 〒484-0086 愛知県犬山市松本町2-63
TEL 090-1563-2136
0568-62-3858
設立 2015年7月
資本金 4,000万円
事業内容
  • オイルパームを使った木質系製品加工の普及活動
  • オイルパームを使った高付加価値の木質系製品の普及支援
  • 圧密化技術コンサルティングなど
取得特許
  • 特許登録第5963195号 「オイルパーム圧密材」
  • 特許登録第6014396号 「積層合板」
  • 特許登録第6083691号 「積層合板の製造方法」
  • 特許登録第6083692号 「積層合板の製造方法」
  • 特許登録第6083700号 「オイルパームの乾燥装置及びその乾燥方法」
  • 特許登録第6083701号 「圧密材及びその製造方法」
  • 特許登録第6083894号 「歪除去圧密材及びその製造装置、その製造方法」
  • 特許登録第6086521号 「オイルパーム薄板の接合組成物及びその接合方法」
  • 特許登録第6086522号 「オイルパーム圧密材」
  • 特許登録第6086523号 「オイルパーム圧密材」
  • マレーシア特許庁登録済の特許番号:MY-166988-A「オイルパームの成形体及び製造方法、積層合板」
など、国内で23件、海外でマレーシアを中心に13件の権利を取得している。

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